私が不妊治療をやめられた理由 治療から特別養子縁組へのシフトチェンジ【体験談】

【体験談】私たち夫婦の特別養子縁組

児相相談所から委託された子どもと特別養子縁組が成立しました。瑛子えびすこと申します。

私は38歳で結婚し、結婚後すぐに不妊治療を開始。40歳まで治療をして、特別養子縁組にシフトチェンジしました。

「不妊治療をやめる」勇気がいる決断ですよね。

「不妊治療をやめる」→「特別養子縁組に進む」決断をした私のケースをご紹介します。

そもそも、特別養子縁組は「子どもの福祉」のための制度であって、子どもがほしい大人ための制度ではない、不妊治療の延長線上にはないという意見はいったんおいておきます。

 

私が不妊治療をやめられた理由

開始前に40歳までと決めていた

恥ずかしながら、私たち夫婦は結婚前に子どもをどうするか話し合う機会を持っていませんでした。
結婚したんだから絶対ほしいという私と、できなければ2人でいいという夫。
結婚してから、子どもへの夫婦の価値観の違いが判明しました。
ですから、夫は不妊治療にも積極的ではありませんでした、子どもは授かりものという感覚でいたようです。

不妊治療をしたいと私が伝えたとき「するのはいいと思うし協力はする。でも、いつまでなのか、どこまでなのか、いくらまでなのかわからないけど、期限は決めてやった方がいいと思う」と夫は言いました。
顕微授精で2人の子どもを授かった幼なじみにも不妊治療をするなら期限を決めておいた方がよいとアドバイスされていました。

私たちは話し合い、「40歳までは全力でやってみたい!」と不妊治療を始めることになるのです。

 

治療開始より不妊治療の最後の砦と言われる最先端のクリニックに通った

不妊治専門病院選びは、自宅からの距離や費用でなく、治療実績を基準にしました。
治療実績は公開している病院としていない病院とがあります。
私は公開している病院の方が圧倒的に信頼できると思いましたし、A病院について調べてみると比較的年齢層の高い女性での治療実績がよいと出ていたので決めました。
距離的にもっと近い病院も、治療の費用が安い病院もありましたが、のちのち転院することになるのであれば、最初から一番信頼できる病院で治療をしたいという思いがありました。

体外受精の勉強会に夫婦そろった参加したときのこと。
「この病院でだめだったら、きっとどこの病院に行ってもだめだろうな」
夫も私と同じように感じたようでした。

 

最先端のクリニックの治療でも結果が出なかった

40歳になるまで約1年半、そのクリニックに通い、治療しました。
精子の検査で精子の状態もよくないことがわかり、顕微授精を勧められました。

採卵にむけて卵子を育てるための注射をしたり薬を飲んだりしましたが、ほとんど卵子は育ちませんでした。
早寝早起き・たんぱく質を増やすなど食生活の改善・運動習慣をつけるなど生活改善を行い、鍼灸院にも通い、毎晩漢方を煎じて飲みました。

努力むなしく、結局一度も採卵できずに治療を終えました。

もし一度でも採卵できていたら?
もし一度でも移植できていたら?
もし一度でも着床していたら?
もし一度でも妊娠していたら?

もし一度でも成功していたら、あと1回、最後1回とまた成功するかもしれない可能性にかけて、きっぱりやめることができなかったかもしれません。

「職場に近くて通いやすいから」などの理由でクリニックを選んでいたら、転院したらまだ可能性があるのではと治療を続けてしまっていたかもしれませんね。不妊治療の病院選びは大事です。

結果が出ない苦しい治療でしたが、結果が出なかったからこそ次に踏み出しやすかったと今では思っています。

 

選択肢の1つとして特別養子縁組を知っていた

私が特別養子縁組を知ったきっかけは、テレビ番組でした。
まだ20代で結婚もしておらず、実家で家族と暮らしていたときに、たまたま深夜に見たドキュメンタリー番組で「特別養子縁組」が取り上げられていました。

番組は「愛知方式」と呼ばれる生まれたばかりの新生児を委託する特別養子縁組の1つのスタイルを特集したものでした。
産室の隣で待機している養親が涙を流しながら、生まれたばかりの赤ちゃんを抱くシーンで、養親さんの気持ちを想像していっしょに涙を流していたのを覚えています。独身の私がなぜか、生みの母ではなく養親に肩入れをして見ていたのが今となっては不思議です。

特別養子縁組は頭の片隅にずっと残っていました。
不妊治療をしていたあいでもずっとです。

不妊治療の期限の40歳が近づくにつれて、不妊治療ではなく、特別養子縁組についてネット検索している時間の方が長くなっていきました。

私にとって不妊治療をやめることは子どもをあきらめることでなかった、このことが治療をやめる手助けをしてくれたと思っています。

「大丈夫、自分で産めなくても、子どもを育てる可能性は残されているから」

特別養子縁組という選択肢を知っていたことに、治療中の私はとても救われていたと思います。

不妊治療をする限りは自分の子どもを授かることが最善の結果です。しかし、治療を受ける全ての夫婦が授かるわけではないのが実情です。

最終的に特別養子縁組を選ばなかったとしても、特別養子縁組を選択肢の一つとして知っておくことが不妊治療中の心の安定剤になる場合がありますので、お守りとして知っておいてほしいなあと思います。

 

 

不妊の傷は癒えたのか

治療最後の日のことを覚えています。
診察室でもクリニックを出てからのトイレでも泣いてしまいました。

https://ameblo.jp/emichikura/entry-12240858026.html
以前にそのときのことを書いています。

もちろん妊娠できる可能性が無くなったことをすぐにすっきり受け入れられたわけではありませんでした。

でも時間が経つうちに「できることは全部やったんだから」と自分を納得させながら、少しずつ受け入れて来られたように思います。

一時は養子であっても子どもを育てる経験をすれば、不妊の傷は完全に癒えるのではないかと思っていたこともありました。

しかし、特別養子縁組を前提に子どもと1年以上いっしょに暮らした今も、不妊の傷は完全に癒えてはいません。
ときどき自分の胸の内に説明しにくいもやもやとした感情が沸き上がることがあります。

子どもを産むことができなかった喪失感は、子どもを育てることでは埋められないのだと思うようになりました。
おそらくこの感情は一生向き合っていくものではないかと思っています。

だからといって、今の生活が幸せでないわけではもちろんありません。子どもとの毎日は幸せいっぱい。
もやもやした感情はときどき、忘れた頃にひょっこり顔を出してくる程度のものですね。

 

 

まとめ

・不妊治療をやめることは難しい。期限を決めて、最良の治療を受けるべし
・最終的に選択をしなくても、特別養子縁組を選択肢の一つとして心に留めておくべし
・不妊治療の傷は癒えなくても子どもといっしょに過ごせる生活は幸せはいっぱい

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